15 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:19:34.83 ID: +Jfu9JOd0
12.「心母少女 3」
そこに愛がありますように。
その日は快晴であった。陽光の金色がまぶしい。
木漏れ日が森の中を漂い、空には熱気をはらんだ雲が浮かんだ。
そよ風が涼しげであった。絶好の散歩びよりであった。
立ちつくすだけで、暖かみと清々しさが味わえる。
けれども、プルトニーは立ち尽くしても、空気の穏やかな
味わいを知りえなかった。
冷や汗がとめどもなく溢れ、彼女の背中をぬらすし、
からだは完全に硬直してしまっている。
手がおののいて、細かに汗がとびちった。
それでも、目の前の光景から逃げようとは思いもしなかった。
16 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:22:53.88 ID: +Jfu9JOd0
耳にこびりついて離れない。
悲鳴にちかい、自分の金切り声であった。
光景もよみがえってきた。
涙をうかべて途方にくれるドローレスの表情、
その顔は、プルトニーの凶行を理解できずにいた。
みえるはずのない、自分の相貌。
ロウのように白い、生気のないその肌……。
陽炎のように詰めよって、無垢なドローレスの
首に手を伸ばしてゆく。
映像はそこでとぎれた。
記憶を失ってしまったのかもしれない。
いくら思い出そうにも、断片すらうかんでこない。
そのときの感情の余韻すら、残されていなかった。
ありていに言ってしまえば、自分が
殺人をおかしたのかすら曖昧であった。
17 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:24:35.25 ID: +Jfu9JOd0
「どうしよう……」
これからどうするべきか。
カレットと一緒にこの世界にすもうと
ばかり考えているので、今回のこの殺人現場
についても、それに準じたものである。
カレットに殺人鬼とはおもわれたくない。
ならば、これは事故死として片づけるべきだけれども、
そう簡単にうまくいくものであろうか。
いや、そうさせないとならないのだ。
プルトニーは自分をいましめた。
さしあたっては、この死体に手をつけなくてはならないが、
それよりも、
「……そうだ」
失踪させたほうがいい気がしたのであった。
18 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:27:38.65 ID: +Jfu9JOd0
ドローレスはときどき、町へ出かけるらしい。
今日も、そういうふうに行動し、そして
そのまま失踪した、とさせるべきだろう。
撲殺体をめのまえに、はたして
カレットがどこまでプルトニーを信用するだろう。
あるべきではない、最愛のものの死。
その場に直面したカレットが、錯乱しては意味がないのである。
そう決めると、プルトニーはすぐさま行動にうつした。
ドローレスの遺体をかつぐと、ゆっくりした歩調で
外へでて行った。
ドローレスの遺体は、すでにつめたくなっていた。
あれほどまでにお喋りが好きで、蝶のように
かがやいていた彼女が、と思うと、友達を失ったようで、
プルトニーは泣き出したい気分になった。
19 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:30:11.65 ID: +Jfu9JOd0
蝶といえば、カレットは、その蝶が
しゅうへんで舞いまわる、花の趣きである。
けっして動きはしないし、静観を
つらぬいているけれども、たしかにそこに根をはっているのだ。
プルトニーは重いドローレスの身体を
背負いながら、なおも考え続けた。
わたしはただ、その花を美しいと
思っていただけなのだ。
そして、ただ、その花から
蜜をうばう蝶が、小憎らしくなっただけ……。
だから、だから、……。
20 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:32:17.83 ID: +Jfu9JOd0
森のなかは静まり返っていた。
虫の鳴き声などまるできこえないし、鳥たちの
さえずりも今では久しい。
木漏れ日もこのあたりにまで来るとほとんど
見当たらず、鬱蒼とした樹木に
圧倒されるばかりであった。
厚ぼったい深緑のビロードは、気がつけば
頭上ばかりでなく、視界のほとんどに姿を
見せはじめていた。瘴気がおびやかす。
ぞっとした。
おまえは逃げられない。決して
断罪からのがれられない。
そんな森からの警告を、きいたような気がしたので……。
汗をぬぐい、のどのかわきをツバで潤おし、
苦心したあげく、とうとうプルトニーは川べりまでたどり着いた。
21 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:34:28.70 ID: +Jfu9JOd0
水面まで近づくと、相変わらずその水流のはげしさに驚かされる。
空をあおぎみると、いつの間にかにび色の雲が全体をおおっていた。
プルトニーは、それを確認しおえると、
最後の大仕事とばかりに、ドローレスのなきがらを
マイセン河に投げ入れた。
にごった白濁水が、ぱっと焔たつように飛沫をあげた。
いっしゅん遅れてはじけたった水面の音は、
なんども残響してプルトニーのこころにこもった。
――やった。
仕事をおえ、プルトニーは生を噛みしめる思いであった。
ようやく、ドローレスを完全に消し去った。
この時点で、プルトニーの哀れな死骸は
地平線の向こう側へと流されていってしまった。
――これで、行方不明ということにしてやる。
22 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:37:42.59 ID: +Jfu9JOd0
絶頂ににた至福をえると、プルトニーの
きゃしゃな身体は、いきなり崩れ落ちた。
たちまちおとずれた、湿っぽい罪悪感……!
たちまち燃え上がった、すずしげな幸福感……!
そのジレンマにプルトニーの精神は
ちからづよく締めつけられてしまった。
しばらくは立てそうもない。
にわかにそう自覚すると、プルトニーは
底意地のわるい微笑を口辺いっぱいに拡げてみせた。……
23 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:40:05.44 ID: +Jfu9JOd0
しかし、小屋への帰り道のさなか、
いきなりプルトニーは恐怖にまみれた。
ありもしない、カレットとの痴話げんかが
プルトニーの脳裏によみがえってくる。
――だから、お前は意地汚い女なんだッ!
カレットが激しい調子でまくしたて、プルトニーをばとうする。
――こすずるい女狐め。じぶんのチッポケな欲望の
ために、私のたいせつなものを消し去ってしまうだなんて!
そのカレットは、ドローレスを殺害したことについて糾弾しているらしい。
――それはいわないで!
自分のむなしい叫び声もあふれてくる。
24 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:42:05.78 ID: +Jfu9JOd0
すすりなきながら言葉をつむぐ、己の声には、
プルトニーも感動を禁じえなかった。
――おねがい……それだけは、あなたが、言っちゃだめなの。
だって……そうでしょ? あなたは、言っちゃいけないんだもの。
――なにを、言っているんだ。
つきさすような、冷ややかなカレットの遮り……。
――おまえは何を言っているんだよ。わたしの所有者にでも
なったつもりか? いいか? なら教えてやろうか。わたしの所有者は……
――だから言わないでぇッ!
その自分の金切り声をさいごに、言葉の応酬はきこえなくなった。
かわりに、もみ合うような騒々しい物音が響いてくる。
自分がカレットを犯しているのだろうか。
などとかんがえ、悲しみにくれる中、プルトニーは喜びで身体をふるわした。
25 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:44:03.14 ID: +Jfu9JOd0
しかし、真相はどうも違うらしい。
その物音がとだえると、むなしい静寂がしばらく続いた。
そうして、自分のふるえる吐息が脳内に充ちだした。
後悔の念にまみれた吐息だった。
夢のなかの自分がなにをしたのか、プルトニーは
しずかに理解した。
悲しすぎた。
またも人を殺してしまったのだ。
――あなたがいけないのよ!
じぶんの声が、鞭のようにするどく響いた。
――あなたがいなければ、こんな……こんな……!
けれども、そのなじる相手は自分自身や生者ではないらしかった。
もう、この世には存在しない、ドローレスに向けている。
27 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:45:59.74 ID: +Jfu9JOd0
――あ、あ、あなたさえ居なければぁ……
わたしは幸せになれたのぉ……。
――カレットが一人で住んでればぁ……
わたしは人を殺さなくてすんだのにぃ……。
――あんたさえ、あんたさえ……
あたまのなかのプルトニーは、死んだ相手を
呪おうとしていた。
もう、自分できくには忍びないほどの激情であった。
しかし、爆発したような声が轟く。
――あんたなんか、居なかったべきなのよ!
――もう私を悲しませないでぇ!!
――死ねっていうつもりなの!?
28 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:47:51.43 ID: +Jfu9JOd0
「やめてぇ!」
たえきれず、プルトニーは叫びあげた。
たちまち脳内の小芝居は、消え去った。
しかし、こんどは現実世界に異変がおこった。
もうすこしで小屋というあたりで、きゅうに豪雨が
降り注いだのであった。
突然の宵闇は、遠雷をつれだって訪れた。
ふりそそぐ雨は、たちまちプルトニーのからだ中をぬらした。
ようやく我に返ったプルトニーは、
そのたぎりたつような黒雲をみ、駆け足で小屋へともどった。
衣服はすっかり水びたしになって、重苦しい
あんばいとなってしまい、動くのももどかしくなる。
ようやく玄関までたどり着いたとき、
プルトニーは、寒さと恐怖に打ち震えていた。
30 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:49:17.08 ID: +Jfu9JOd0
雨は止む気配をみせず、それどころか
勢いをさらに増していった。
ドアの前でプルトニーは立ち尽くした。
風で木々は弓のようにしなり、葉はこそげ落ちていく。
荒れくるう風と過多の水分で、すっかり
プルトニーの髪は乱れてしまったが、
彼女自身、身だしなみを気にする余裕など持ちあわせていない。
青ざめた顔で、唖然とするばかりであった。
――この雨は、きっと天罰よ。
突風が黒雲のもとで"ワンダランド"を輪舞する
このイジメ風景を見つめていると、
絶望的な心もちとなってしまう。
31 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:51:19.67 ID: +Jfu9JOd0
――だって、マイセン河が……!
ただでさえ、大河での嵐は凶暴だというのに、
ましてや氾濫騒ぎを幾度となく引き起こすマイセン河での
出来事となれば、ほうしん状態のプルトニーですら死の危険を感じとれよう。
暴れ川で有名のマイセン河。
しかし、そんな場所のほとりには、たしかな
ワンダランドが存在していたのだ……。
――あれ?
小屋のそまつな木片が音をたてている、そのさなかで
プルトニーはふと思いついた。
それは、いつしかの疑問への回答のようなものであった。
――死ぬために、二人の少女は住んでいた?
32 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:53:53.34 ID: +Jfu9JOd0
プルトニーは硬直した。
しかし、くずれたような外見とは裏腹に、
思考だけは、めまぐるしく回転している。
――小さな、二人だけの幸せが……
――いつか、いとも容易く激流に呑まれることを望んで……
――それを念頭に、彼女らはワンダランドを築いてきたのだろうか。
――だとすると、わたしなど……しょせん……供え物にも劣るじゃない。
――その天使のような二人の、憂いにみちた世界では、
自分など、真の意味では眼中にない存在なのだ……。
――けれども、わたしだって、"死にたがり"だ。
――仲間なんだ。わたしだって、なれたかもしれない。ワンダランドの住人に。
こころは後悔に充ちた。いまさらになって、
ドローレスを殺したことへの感情が、味を帯びていく。
33 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:55:51.80 ID: +Jfu9JOd0
プルトニーの視界は涙でにじんだ
そのとき、どろ道をあるく何者かの姿をとらえた。
弱々しくもかくじつに小屋へ向かうその
姿は、
まさしくカレットであった。
「カレット!」
カレットは顔をあげてプルトニーの方をみた。
苦しい顔をかくすように、すこし表情をやわらげてみせている。
彼女のそのささやかな優しさは、プルトニー
の心をつよく揺さぶった。
たちまち、ドローレスのことなどどうでもよくなった。
もう、カレットとさえ一緒にいれば、何だっていい……と。
35 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: >>34 作中作 投稿日: 2008/06/03(火) 23:57:59.05 ID: +Jfu9JOd0
「カレット、カレット……こっち、こっち」
届くはずもないのに呟きつづけながら、
プルトニーはドローレスについての言い訳を、
そのはじめての切り口を何にしようかと考えあぐねた。
しかし、そろそろ近づいたという辺りになって、
とつぜんカレットの表情に緊迫がはしった。
やおら目線をとぎすますと、息をのんでから、
なにかをプルトニーへ叫んだが、
「え。なに、カレット?」
声など届くはずもない。
それでも必死になにかをつたえようと
するカレットに、プルトニーは、訝しい気持ちをいだいた。
36 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/03(火) 23:59:24.72 ID: +Jfu9JOd0
よく耳をすませてみると、風の轟音のほかに、
なにやら地鳴りのようなものも聞こえてきた。
いやな予感があやしく走り抜けた。
カレットの表情はみるみるこわばり、必死になっていく。
「どうしたの……」
いわずとも、その予兆は感じていた。
けれども、プルトニーは黙っていられなかった。
「カレット、カレット、助けて……カレット……」
疲れがいっきに押しよせてくる。
足がすくんで動けない。
カレットはもう玄関ちかくまで来ていた。
必死に、プルトニーをさそうように手をこまねいている。
37 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:01:22.35 ID: CC6cFC+20
もはや地鳴りは風よりも意識させる。
地面が揺れている。
プルトニーはもう、感情が溢れすぎて
なにがなにやらわからなくなってきた。
くずれ落ちそうになったそのとき、
プルトニーはカレットの叫びをやっと理解した。
こう叫んでいる。
「ドローレスはどうした?」
むろん、こればかりカレットは言いつづけたわけではない。
しかし、プルトニーの耳にようやく
とどいたそれは、彼女の意識を砕くには充分なものであった。
――カレットが手を差し伸べているのは、私じゃないんだ。
38 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:03:25.01 ID: CC6cFC+20
拒否したくなった。
その手がもとめているのは、自分でなくドローレスなのだと考えると。
けれども、カレット自身の魅力をおもいかえすと、
抗えない自分に気がつく。
豪雨でぬらされ、突風でひやされた
純白の腕が、プルトニーの目の前に差しだされる。
そのあいだもカレットは執拗に
なにか、叫びつづけていたが、プルトニーの耳にはすでに届かない。
プルトニーはふるえる腕を差し伸べようとした。
しかし、結局それは果たされることがなかった。
マイセン河は決壊し、小屋をたちまち破壊し、
そのざんがいと、少女らとをいっきに押し流してしまったのである。……
40 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:06:53.34 ID: CC6cFC+20
*
あれくるう波は小屋だけでなく、その森自体を
半壊させた。森の翳りもいまや不吉なものから
悲惨なものへと変り果てた。
ふしぎなことに、豪雨は、森をほろぼした
その瞬間からたちまち雲散した。
風もふいにやみ、黒雲からは太陽が気恥ずかしそうに顔をのぞかせた。
生きのこった小鳥たちが鳴きごえをたてた。
黒雲はきゅうにひび割れだし、そうして分裂して
蒼穹に舞台をあけわたした。
それは、プルトニーのかんがえるような、
ドローレスからの、あるいは別のなにかからの裁きだったのだろうか。
ドローレスの骸は水の底に沈んだのだろうか。
のちになっても、発見されることはなかった。
43 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:10:10.61 ID: CC6cFC+20
たそがれ色のつよい太陽を浴びながら、
プルトニーは、ふいに目をさました。
どこかの浜辺にいきついたらしい。
たっぷり衣服が水をふくんでいたせいか、
砂と一体化したように、黄土いろにまみれてしまっている。
涙でにじむ視界。
――ここはどこなんだろう。
孤独をおさえつつ、あたりを見回した。
どうせ何もないとふみつつの行為であったので、
カレットの身体がすぐそばで投げ出されていることには、
――あッ……
驚かずにはいられず、視界はさらに滲んで万華鏡めいた。
44 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:12:26.02 ID: CC6cFC+20
いままでの葛藤などすべて忘れ、必死で
カレットの身体をゆり動かした。
かすかな吐息とぬくもりが、プルトニーを安心させた。
「……ここは……」
しばらくゆすり続け、ようやくカレットの口から
そんな言葉がもれた。
――ここは、新天地よ。これから、二人でワンダランドを作りましょうよ。
プルトニーはそう囁こうとした。
しかし、感動のあまり言葉にならない。
そうまごまごしているうちに、
カレットのつぎの言葉がプルトニーの耳にとどいた。
45 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:14:29.62 ID: CC6cFC+20
「あなたは……? ここは……どこでしょう?
ドローレスという娘を、知りませんか?」
47 名前: ◆tOPTGOuTpU Mail: 投稿日: 2008/06/04(水) 00:16:19.94 ID: CC6cFC+20
――プルトニーは、すべてを憎んだ。
カーテン・フォール
「心母少女 3」 終