131 :参考にした事件の記事:2007/10/20(土) 02:03:44.29 ID:PryVo1oI0

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 

 

161 :78 ◆pSbwFYBhoY :2007/10/20(土) 02:25:07.40 ID:PryVo1oI0

あとがき

結末は上記の記事を参考にしましたが、
登場人物の心理、来歴、ドクオの話は私の想像によるフィクションです。

私は片桐被告をバカな人間だとは決して思いません。
なぜなら、誰だって彼と同じ行動をとる可能性を持っていると思うからです。

例えば今、私に生活保護の知識があるのも、大学生をしているのも、
それはすべて私の置かれた環境の幸福さゆえのものであり、
私が被告と同じ環境で育った場合、私が彼と同じ行動をとらないとは言い切れません。

彼にどんな量刑が下されたのか、申し訳ないですが私は知りません。
法的には同意殺人に値するのかは知識のない私には定かではありませんが、
もし仮に執行猶予がついた場合でも、彼は実刑を望みそうな気がします。

そしてこれに類似した事件は、私たちの知らないところで多く起きているようです。
以前弁護士の方に話を聞いたときも、似たような事例をいくつか教えていただきました。

この事件が日本の何を伝えているのか。私たちにできることは何か。
馬鹿な私にはそれすらわからず、
せめてこのような現状を伝えられたらと思い、本当に拙い文章ですが書いてみました。

この話のフィクション部分で憤りを感じられた方がいらっしゃったら、申し訳ないとしか言えません。
以上です。この話が、皆さんが何かを考えるきっかけになったら幸いです。

 

 

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