51 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:01:12.45 ID: sWyXMb9G0

― 2 ―

氷に閉ざされたベーリング海峡の上を、一人と一匹が渡ってゆく。

季節は晩冬。寒さが去りゆく時期ではあるが、
それでも空気が身を凍えさせる冷たさを含んでいるのに変わりはない。

それなのに僕は、大した寒さを感じなかった。ビロードはどうなのかわからないが。

それはビロードの両親の毛皮のおかげでもなければ、
エスキモーたちに貰った防寒具のおかげでもない。

周囲に広がる「色」のおかげだった。

 

 

53 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:03:11.42 ID: sWyXMb9G0

滑らかな氷上の大地は、空の青さを反射する。

吐く息の白はまるで雲のよう。ゆるゆると中空を漂い、そして静かに消えていく。
行方を追って周囲を見渡せば、上下左右、僕とビロードを包む世界はどこまでも淡い空の色。

空中に浮いているかのような感覚。
もしかして僕は、今、地上の空を歩いているのだろうか?

ガリガリと氷上を削るそりの音がしなければ、
僕はそんな錯覚に惑わされ、自分が歩いていることを自覚できなかったに違いない。

( ^ω^)「まるでおとぎ話の世界だお」

( ><)「わかんないです!」

もっとも、千年後の今に僕がいること自体おとぎの世界の話なのだが、
銀盤の上の光景はその事実さえ忘れさせるほどに神秘的で、きらびやかで、それでいて幻想的だった。

 

 

57 名前: 訂正します Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:06:58.23 ID: sWyXMb9G0

夢のようなひと時はまどろみのように過ぎ去り、間もなく僕たちは対岸へと到着する。

ユーラシア大陸の東端、チェコト半島デジニョフ岬。

踏みしめたツンドラの大地は固く、あたりに生き物の姿はまったく無く、植物の姿さえまばらにしか見当たらない。
そして目の前に広がるのは、真白に染まった険しいチェコト山脈。

( ^ω^)「おっおっお。あれを越えるしかなさそうだお」

適当な平地にテントを立て、春先に連なる山々の頂を眺め、
そりに乗せた超繊維の袋から錠剤を取り出してビロードに一粒やり、僕もまたそれを飲み込む。

味気は全くないが、腹は一気に膨れる。
少し苦しいまでに膨らんだ胃から空気が押し出され、げっぷが漏れる。

しかし、それさえもツンドラの空気は白く染め上げてしまう。

春の入りだというのに、それほどまでにここは寒い。
さらにその先、山脈の上の冷たさは想像を絶するものだろう。

 

 

59 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:07:50.96 ID: sWyXMb9G0

( ^ω^)「こりゃさすがに死ねるお。なあ、ビロード?」

( ><)「……げっぷ」

( ^ω^)「……」

(*><)「わ、わかんないです!」

自分の死期をそれなりに自覚しながら、久しぶりに真剣な顔で話しかけてみた。

それなのに返ってきた答えはげっぷ。
おまけに、そのあとにはビロードのはにかんだような鳴き声。

可笑しくてたまらなかった。

 

 

60 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:09:18.71 ID: sWyXMb9G0

( ^ω^)「おっおっおwwwwwwwwwww」

(;><)「わ、わかんないです! わかんないです!」

もちろん、犬がはにかむはずがない。あくまでそれは僕の主観にすぎないのではあるが、
さらに照れ隠しのように吠えまくるビロードの声を聞いて、笑いをこらえることなど出来るはずがなかった。

楽しいから、笑いが出た。
笑いが出たから、気持ちが前向きになった。

( ^ω^)「僕たちはアラスカの冬を越えたんだお。ここもきっと越えられるお」

( ><)「わかんないです! わかんないです!」

まだまだ僕は死ねそうにない。漠然とそんなことを思った、ユーラシア大陸最初の日。

 

 

64 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:11:58.04 ID: sWyXMb9G0

それからの二年半に特筆して語るべきことはない。
ただひたすらに内陸へ向けて歩き続けるだけの日々。

内陸を目指したのに特別な理由はなかった。
ただ、風の吹くまま、気の向くまま。河の流れをたどっているうちに、内陸へと進んでいた。

生きるため。あえて挙げるとすれば、それだけが理由だろう。

この二年半で、人と出会うことは一度もなかった。
僕が人のいる土地を通らなかっただけなのか、それとも単にこの地方に人が住んでいなかっただけなのか。

理由は定かではない。

それでも僕たちは、何とか日々を歩き続けた。

 

 

65 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:13:51.89 ID: sWyXMb9G0

内陸のレナ川と合流するまでの二年間。
レナ川の流れをさかのぼって南下した半年間。

特にレナ川と合流するまでの、
ユーラシア東北部の険しい山々を越える中で迎えた、合計で一年以上にもなる厳しい冬。

立つことすらままならない吹雪が幾度も行く手を阻む道のりの中で、僕は何度も死を覚悟した。
けれど必死に生き延びようと、穴倉の中にテントを張り、たき火の頼りない炎の中でビロードとじっと身を寄せ合った。

( ^ω^)「ビロード、こっちにくるお」

( ><)「わかんないです!」

(*^ω^)「ビロードの体、すごく……あったかいです……」

(*><)「わかんない……です……」

千年前の世界よりさらに昔。
厳しい冬を越えるため、一部の地域では「犬貸し」という職業が存在していたらしい。

冷える冬の夜。家もない浮浪者たちは、
暖を取るため金を出して彼らから犬を借り、丸まりながら抱いて寝たそうだ。

その事実を裏付けるように抱いたビロードの体は温かくて、彼がいなければ僕は本当に凍え死んでいたことだろう。

 

 

69 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:16:40.19 ID: sWyXMb9G0

どちらにしても、僕とビロードは当初の予感通りに生きており、
川で獲れる魚、わずかな小動物の肉、ツンドラの大地に夏の間実るベリー類を保存食としたもの、
そして千年前の錠剤を命の糧とし、ユーラシア北東部の厳しいツンドラ地帯を歩きぬいた。

しかし、あくまで非常食としか認識していなかった千年前の錠剤は常食同然となって確実に減っていき、
内陸のレナ川と合流したユーラシアで迎える三度目の春、ついにそれは底をついてしまう。

それからの半年間、
僕たちの歩くレナ川周辺は高原だったため、食糧補給は幾分かマシになっていたとはいえ、
頼るべき食料は相変わらずの川魚か、ビロードがたまに狩ってくる小動物の肉、
まばらに生る果実、そして植物の新芽――これが意外に美味しい――くらいのものだった。

やがて、ユーラシアで迎える三度目の短い夏も過ぎ去る。

木々は枯れ、動物たちも冬眠に入り始める冬の入り、僕もビロードも慢性的な空腹に悩まされるようになり、
ついに僕はそりを引くことさえままならなくなる。

 

 

71 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:18:43.45 ID: sWyXMb9G0

(ヽ^ω^)「……これはここで燃やしていくお」

(ヽ><)「……わかんないです」

この頃の僕は歩くのも精いっぱいで、
テントなど生活必需品を運ぶそりは、ビロードに引いてもらうしかなかった。

しかし、痩せて毛までガサガサになってしまっていたビロードにだけ
重いそりを引かせるのはなんとも心苦しく、せめてもの手助けにと、とある夜、
僕はそりに積んでいた旧世界の書物をすべて燃やすことにした。

 

 

72 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:20:38.12 ID: sWyXMb9G0

(ヽ^ω^)「これで千年前のものは超繊維と銃だけになっちゃったお。
      僕の贈り物としての意義も、これで本当に無くなってしまった気がするお」

旅の指南書、あまたの技術書。音を立てることなく燃えていく千年前の書物たち。

もっとも、その中身はあの村を出て以降飽きるほど読み返してきたから、
一言一句とまではいかないまでも頭の中には入っていた。

例えば、書物の中のひとつにあった世界各地の詳細な地図。
穴が開くほどに読み返したそれは、今ではすっかり脳に焼き付いてしまっている。

だから僕が生きている限り、過去の技術をこの世界に生きる人々に伝えることはまだまだ可能だ。

けれどそれらはもう、僕の頭の中に情報としてしか存在していない。
書物として、物体としての存在の確かさは炎とともに失われたのであり、
その事実が、僕をしてそんな感傷的なことを思わせたのかもしれない。

(ヽ^ω^)「……内藤ホライゾン。あんたはどう思うかお?」

(ヽ><)「わかんないです!」

凍てつき、乾燥し始めていた空気の中、降ってくるような星空を見上げて呟いた。

答が返ってくるはずもない問いかけに答えたのは、ビロードの鳴き声だった。

 

 

79 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:22:35.08 ID: sWyXMb9G0

(ヽ^ω^)「……そうだおね。そんなこと、誰にもわかんないお」

(ヽ><)「わかんないです! わかんないです!」

(ヽ^ω^)「おっおっお。ビロード、ありがとうだお」

僕のそばで縮こまるビロード。
ツンドラの厳しい大地の上をともに歩いてきた、かけがえのない仲間。

見上げてきた彼の開いているのか閉じているのかわからない眼に、
なんだか救われたような気がした。

やがてたき火も消え、僕たちはテントへと戻って眠りに就いた。

翌朝起きた時には、風に吹かれたのだろう。

千年前の書物の名残は、わずかな灰を永久凍土の上にこびりつかせる程度で、
そのほとんどが地平線の彼方へと消えてしまっていた。

 

 

81 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:24:29.38 ID: sWyXMb9G0

それからの数週間、空腹と疲れで朦朧とする意識の中、
拾った木の枝を杖代わりに、僕はひたすらに歩き続けた。

レナ川の水をたらふく胃に詰め込んで空腹をごまかし、
わずかな食料を腹に入れ、倒れこむまで歩き続けた。

しかし、ついに限界は来る。
体重をかけ続けた杖代わりの木の枝が折れ、僕は前のめりに地面へと倒れる。

それきり僕は、立ち上がれなくなってしまった。

 

 

83 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:25:41.74 ID: sWyXMb9G0

(ヽ><)「わかんないです! わかんないです!」

(ヽ^ω^)「お……ビロード……すまんお……僕はもう……ダメみたいだお……」

初冬の空の下。

頬に触れた永久に溶けるはずのない凍った土は、なぜかほのかに温かかった。
そう感じられたのはおそらく、僕の体温がそれほどまでに冷え切っていたからだろう。

視界がかすんでいく。
そばで鳴いているはずのビロードの声が遠のいていく。

ああ、僕はここで死ぬのだ。

これまで僕は、どれほどの道のりを歩いてきたのだろうか?
ともかく僕は、ようやくここで死ねるのだ。

 

 

85 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:27:16.21 ID: sWyXMb9G0

贈り物としての意義を果たしてなお、ドクオに、ギコに、「生きろ」と言われた。

だから生き続けた。死ぬことを望みながら、
それでも彼らの言葉に従って、生きるための最善のことをし続けてきたと思う。

ただひとつ、ビロードを食して生き伸びるという手段が残されてはいるが、
そればっかりはどうしても出来ない。

しかし、たとえそれを差し引いたとしても、
僕は十分に生きる努力をしてきただろう? 義務を果たそうとしてきただろう?

それでも力及ばなかったのだから、もうこの辺で勘弁してやってくれ。

 

 

88 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:29:45.30 ID: sWyXMb9G0

(ヽ^ω^)「……雪……だお」

うつぶせのまま、凍土に頬を付けていた僕の視線の先で、今季初めての雪が舞っていた。
ユーラシアで過ごした二年半でもっとも降り始めの遅い、はらはらと舞う三度目の初雪。訪れた冬の唄。

彼らは、僕が野垂れ死ぬのを待っていてくれたのだろうか?

どうであったとしても、これほど粋なレクイエムもそうそうないだろう。

(ヽ^ω^)「おっおっお……悪くない最期だお……」

視覚が機能しなくなったのか、それとも重い瞼が閉じてしまっただけなのか。

自らのつぶやきを合図に、僕の視界は黒に染まる。
ビロードの声も聞こえなくなった。おそらく聴覚が潰れたのだろう。

だからきっと、目の前が暗いのも視覚が潰れたからに違いない。

ダカラキット、ボクハ、ココデ、シネル。

 

 

90 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 Mail: 投稿日: 2007/12/23(日) 23:30:48.69 ID: sWyXMb9G0

「わかんないです! わかんないです!」

「これは大変だ。急いで僕のテントへ」

「ちんぽっぽ!」

最後の最後、機能していないはずの耳にいくつかの声が入ってきた。

だけど、それは僕の幻聴にすぎなかったはずだ。
だって、こんなツンドラの大地に人がいるはずなどないから。

僕の頬にまた何かが触れた気がした。
それは雪と違い、とてもとても温かかった。

そして、僕の意識は途切れた。

 

 

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